MY HERO’S INTERVIEW

GUEST プロフィール
勝村えみ子
1963年 岩手県陸前高田市生まれ
岩手県立高田高等学校、青山学院大学出身。モデル、専業主婦(15年間)を経て大手レストラン事業会社社長秘書、広報、芸能プロダクションマネージャー、キャスティングディレクターとして活躍。大学時代塾講師の経験をもち、東日本大震災をきっかけに、現在は日本語学校教師として教壇に立つ。ご主人は俳優の勝村政信さん。そして二十歳になる一人娘がいる。


えみ子さんとは“admires”「褒めあう会」という大人の友達が集まったグループの仲間。かれこれ十数年来のお友達です。美しくて清らか。そして穏やかで、大人の気遣いが出来る。頭脳明晰だから話がブレない。的を射たコメントもさすが。しかも遊び心も持ちあわせている、是非お手本にしたい私の憧れで大好きな女性です。

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NO.3 一番頼りになる存在、家族。

立河:えみ子さん、ご結婚は幾つの時?

勝村:28歳でニューヨークから帰ってきてしばらくモデルの仕事をしていたんだけど、そんな時に友達の紹介でパパ(ご主人で俳優の勝村政信さん。以下パパ)と知り合ったのね。本当は、パパは自分の知り合いに私を紹介するつもりでいたみたいなんだけどね。(笑)

立河:あはははは。ご主人、我を忘れてえみ子さんにロックオンだ。(笑)

勝村:結局、パパの知り合いに私を紹介してもらったのは、私達の結婚式だった。(笑)

立河:あははははは!最高!ご主人はなんてプロポーズしてくれたの?

勝村:プロポーズってなかったの。実はパパと最初に会った日から一緒にいるのよね。(笑)

立河:初対面の日から?

勝村:そうなの。その日に結婚しようって(笑)

立河:一目惚れだったのね。

勝村:私は自分の家があるのに、仕事へ出かける彼が、「帰ってくるから待っててね」なんて。それでなんとなくその日から一緒に暮らし始めるようになったの。

立河:へぇ!どのくらいお付き合いして結婚したの?

勝村:出会ったのが3月で7月のパパの誕生日に入籍したから、4ヶ月。入籍したきっかけは、一緒に住んでることを親に言わなきゃっていうことになってパパが父に電話をかけて、一緒に暮らしてるって話をしたの。父は田舎の人だから、それならしっかりけじめをつけて入籍してくれないかって。父の言葉を受けてパパはわかりましたと。

立河:トントン拍子。えみ子さんのお父さんって男気あるね。

勝村:パパはいつどうなるかわからない仕事だし、田舎の人から見れば色物だよね。周りに綺麗な女優さんもいっぱいいるし、お前はいつ捨てられるかわからない、なんて心配してたけど。(笑)

立河:えみ子さんに迷いはなかった?

勝村:うん。この人じゃなかったら私と結婚してくれる人なんて他にいないかも、と思ったし、パパから必要とされてるんだってことが伝わってきたのね。それまでの私の恋愛パターンとは全く違うものだったけど、こういうのもあるんだなって思ったな。

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立河:必要とされるってとても幸せなことよね。そして結婚式も挙げて。

勝村:入籍して約1年後にね。思い起こすとお色直しの時、お花を持って歩いてもらった甥っ子は当時まだ5歳だったのに、今ではお父さんになってるの。

立河:時の流れを感じるね。なんだか感動するなぁ。それからお嬢さんが誕生して。

勝村:二十歳になる娘がいるけど、彼女の成長と一緒に自分のその時代を振り返る機会が多いのね。最近だと就職のこと考えなさい、なんて言ってもいやいや私はもっと考えてなかったな、って思って。私、ずっと地に足がつかずふらふらして何になりたいか目標も定まらずニューヨークへ行って、戻ってきたらまた塾の先生をやろうと思ってたのに違う道にいっちゃって。(笑)結婚してようやく私は社会と繋がった気がしたの。

立河:それは着地をした感覚?

勝村:そう。自分の居場所が初めて見つかった気がした。それまでの私は「いいじゃない、私は私で。」と思っていたけど、こういう奥さんでいたい、こういうお母さんになりって現実的な目標ができたのね。やってみたらできないことが多かったんだけど。(笑)

立河:自分の思う理想とギャップを感じることはあるかもしれないけど、えみ子さんって本当に素敵な奥様だし、ママをやってる。

勝村:子育ても初めてでわからないなりに楽しんでやろうって。本当に楽しかったからシッターさんに一度も預けることなく、ずっと娘と一緒にいたよ。幼稚園や小学校選ぶ時も全部私がリサーチして決めてた。(笑)

立河:えみ子さんはお母さん業が合ってたのかな?

勝村:好きだったよね。でも今となってちゃんと育てられてないことに気づいたけど。(笑)

立河:どうしてー?あんなにいい子に育ってるのに。

勝村:ははは。ちょっと…女子力が足りない。(笑)そこはやっぱり私の教育だなって思った。

立河:でもさ、私たちも二十歳超えて一人暮らし始めた時に、実は何もできない自分に気がついて初めて親のありがたみがわかったりしたじゃない?まだ二十歳、もう二十歳。私がお嬢さんと初めて会ったのは12、3歳の頃だったよ。

勝村:一番ブスな時期ね。(笑)言い続けたの。あなた今一番ブスな時期なんだけど今頑張らないとここで差が出るよ。諦めちゃダメだよって(笑)

立河:あははは。あの子がすっかり美しい大人になってもう成人式を迎えるのね。えみ子さん親子ってなんでも話してて仲良いね。

勝村:うん。高校生の多感な頃、親があまり厳しいと子供達って内緒にするようになるでしょ。そうすると彼女は友達にアリバイ作りを頼まれるの。そんな時、「あんまりいい気持ちしないよね。」って話をするの。

立河:なるほど!そうやって嘘をついたり騙したりすることが人を傷つけるってことに気付かせてあげたのね。愛のある良い教え方。

勝村:だからそういう嘘はつかない。と思ってるけど。(笑)

立河:本当に人に優しくて素直でいい子に育ったよね。そのお嬢さん、今は、別々に暮らしてるパパとママの関係についてはなんて言ってる?

勝村:とにかく二人は性格が合わないって。中学生の頃に言われた。(笑)私とパパの言うことが違うし、物事の観点、見方も違うんだって。それは娘が一番感じることよね。でも離れて暮らしてはいても父と母なんだ、というのはちゃんと理解してる。私たち夫婦は決して仲が悪いわけじゃなくてむしろ仲が良いの。

立河:うん。離れてる方がうまくいく時ってあるもんね。

勝村:そうなの。娘が行き来しやすいようにわりと近所で暮らしてるんだけど女の子だからなのか、パパとの付き合い方がものすごく上手なの。ほとんど毎日ラインでやりとりしてるし、「お父さん、スニーカー欲しいなぁ」「おぉ、いつ買いに行く?」なんてやってるわよ。(笑)

立河:甘え上手ね。お嬢さんはパパと一緒にいるのは嫌じゃないんだ。

勝村:そうなの。パパの家(家族の家)の方が広いでしょ?そこに娘の同級生何人か来てお泊まり会してるの。女子大生がリビングで雑魚寝するんだけど、パパが張り切っちゃって、手料理作ってあげたりしちゃってるの。これがまた女の子たちも「すっごく美味しい!」なんて言って食べてくれるのよー(笑)

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立河:あはははは。それはご主人、嬉しいよね!そして、えみ子さんとお嬢さんは最終的にその家に戻るつもりなんですって?

勝村:うん。今の生活がすごく不経済なのは自覚してるし、本当にね、年取ってきちゃったら一人でいるの不安じゃない?

立河:うん。わかる。寝てる間に具合が悪くなったらどうしようとかね。

勝村:一人でご飯食べるのも寂しくなるから、もうちょっと経ったら一緒に住もうかなって。パパには「死ぬ時は側にいるから。」って話してるの。しばらく別々に暮らしてはいるけど、パパは家のことや生活に関わることは私に相談してくれるし、郵便物や、頂き物のおすそ分けをいつも持って来てくれたりもしてる。お互いに何をしているか、わりとわかってるつもり。

立河:けっしてギスギスしてる関係ではないのね。

勝村:全然。別居当初、実は離婚も考えていたんだけど、離れて暮らしたら離婚する理由がなくなったの。(笑)

立河:それでこの数年の間にお嬢さんも大きくなって、お互いに年齢を重ねて来たところでせっかく“家族”でいるわけだから何かあった時に支えあおうか、ってなったのね。

勝村:そう。何かあった時に一番頼りになる存在というのは家族なんだって、それこそ、大震災の時にわかった。あの時最初に連絡取り合うのって家族じゃない?パパはすぐに食料を持って来てくれてね。あの震災当日、どうしてもドラマの撮影があるからって出かけて行って。

立河:えみ子さんの地元は、陸前高田。

勝村:私は家族や親しい人たちの安否が心配なのに、交通手段もなくてどうすることもできず、いても立ってもいられない日々が続いて。その間パパはずっと撮影があって1週間くらい経った時に、3日間休みが取れたから「行こう!」って。

取材/文 タチカワ ノリコ
Photo Kaoru Yamamoto

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To be continue Vol.4

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