MY HERO’S INTERVIEW

-ライター:最初のゲストに皮膚臨床薬理研究所の鈴木喬先生を迷わず選ばれましたが、その理由は……?

立河宜子(以下、立河):この企画をスタートするにあたって、すぐに最初のゲストは、「ラミナーゼ」の開発者である鈴木先生にご登場いただこうと思いました。鈴木先生はラメラ構造(ラメラテクノロジー(R)) の製造技術で特許を取った第一人者。BASIC BEAUTYで販売させていただいている、基礎化粧品ラミナーゼスキンケアシリーズを作った先生でもあります。「開発者」という固い文字からは想像できない先生の気さくなお人柄に改めて触れてみたいと思いました。

-ライター:おふたりの出会いを教えて下さい。

立河:38歳の頃、まだ“化粧品ジプシー”だった私が、初めて肌に合って感激したのが「ラミナーゼ」でした。こんなに素晴らしい化粧品をどうやって作るのか、どんな方が開発したのか知りたくて、たっての希望でお話をさせていただく機会を得ました。今まで経験したことのない肌なじみの良さと保湿力に感動しましたと鈴木先生にお話すると、『ラメラ構造と配合成分や配合量、分子量にある』と、「ラミナーゼ」の肌なじみの良さと保湿力の秘密を惜しみなく教えていただきました。でも、当時はちんぷんかんぷん(笑)。ただ、化粧品を愛していらっしゃるんだなという気持ちが伝わってきて感動したのを覚えています。それからはすっかり鈴木喬先生信者なんです。

「What is your identity? MY HERO’S INTERVIEW」記念すべき第1回目は、 立河さんが尊敬してやまないという鈴木喬先生との対談を4回にわたりお届けします。
 

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Vol.1『むちゃくちゃ遊んだ。勉強は嫌い』

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立河:今日はですね、化粧品開発とか専門的なことばかりではなく、先生の“人となり”に迫りたいなと思っています。

鈴木喬(以下、鈴木):あはははは。いいけど、話すことなんてないよー。

立河:研究者になる前のことを教えて下さい。

鈴木:うーん……。運動ばっかりやってたよ。野球と、あとはテニス。

立河:えー! 初耳です。野球は存じ上げていましたが、テニスもされていたんですか?

鈴木:テニスはむちゃくちゃやってたよ。

立河:いつ頃ですか?

鈴木:「資生堂」の研究所に入ってからね。研究所が赤羽(北区)にあった頃、一番強かったのが「日本フェルト」とか「日産化学工業」。それを僕らが初めて負けさせたんだよ。その後、研究所が新羽(横浜市)に移転して、横浜市民大会でベスト36まで残ったこともあった。

立河:先生が勝ったという事ですか?

鈴木:うん、ダブルスでね。

立河:失礼ですが(笑)ダブルスってことは、先生、協調性がおありなんですねー!

鈴木:あははははははは。どうだろうね。シングルはあまり好きじゃなかったんだなぁ。あとね、スキーもむちゃくちゃやった。会社が4時30分に終わってね、すぐに越後湯沢中里スキ―場まで、ナイターに滑りに行ってた。

立河:東京から?! スキー板をかついでですか?

鈴木:板は預けておくんだよ。でね、蛍の光が流れる深夜10時までナイター滑って、それから夜行に乗って帰ってきて、そのまま研究所に行くの。それくらいね、すごく遊び歩いてた。

立河:それで研究もなさっていらしたんですよね。すごい!

鈴木:うーん……。研究は、なかなかやらないの(笑)。やりだすと止まらないんだけどさー。でもなかなかやる気が起きない。そういえば、一度定時で仕事を終えて、暗くなるまでテニスをして、それからまた戻ってきてから仕事したりもしてたなぁ。そんなこと本当はタブーなんだよね(笑)。でも、僕はそういう事やってしまってた。

立河:体力があったんですね。

鈴木:うーん、でもね、小学校の時、戦争で東京から千葉に引っ越したんだけど、喘息でなかなか学校にいけなくてね、小学校3、4年の時に浪人した。小学校浪人。

立河:小学校浪人?!

鈴木:体が弱かったんだよ。小学校6年生の時に体重28キロくらいしかなかったからね。

立河:それは細すぎる! 栄養失調ですよね。大変な時代でしたね。

鈴木:戦争で食べるものなくてね。食えなかったから、もー餓死寸前。でも、中学生になって東京に戻ってきてさ、おふくろにグローブとスパイクを買ってもらったの。それから、中・高とずっと野球漬け。そして、勉強は一切しなくなった。あはははははは。

立河:でも先生。勉強していないと言っても、その後、ちゃんと東京理科大学入られましたもんね。

鈴木:まずは一度「三井金属鉱業中央研究所」に就職したんだよ。でも、結局そこでも野球漬け(笑)。だけど周りのレベルが高くて補欠だった。上司に『君は優秀だから野球ばっかりやってないで勉強しなさい』って言われたこともあったんだけど、『僕は勉強が嫌いだ』っていってやった(笑)。それからも本当に毎日野球ばかりやってたんだけど、やっぱり補欠。ある日、もうこれはダメだな―って思って、しょうがないから大学に行く事にしたんだよ。

立河:それで理科大を受験されたんですね。

鈴木:理科大はね、私立の理科系の中でも学費が安かったの。だから受験した。あっ、僕が強いて人生で自慢できることといえば、大学のお金は一切親に出してもらってないってことかなぁ。全部自分でバイトしながらまかなった。

立河:すばらしい!! 何のアルバイトをしていらしたんですか?

鈴木:家庭教師がメインだね。学習院の中学生を教えてた。一緒に遊んであげたりもしたなー。中学生のクセに生意気にゴルフとか。スケートもやったね。そうやって考えると結構楽しいバイトだったな。

立河:学習院の子に勉強を教えるなんてやっぱり優秀ですね。

鈴木:優秀なんかじゃないんだよ。遊んでばっか。バイトの帰り道、近道だろうと思って高輪プリンスの塀を乗り越えて飛び降りたらそこが石で捻挫したり。そういうむちゃくちゃなことばかりしてたよ。あはははははは。

立河:なんだか、研究者というと堅物とか生真面目ってイメージがありますけど、そんな感じの鈴木先生だから、ちょっとはみ出た、と言うかほかの人とは違う発想の研究を思いつくんですね。

鈴木:そうそう。だからねー「資生堂」になんて合うわけがないんだ。あはははははは。

立河:あははは。これは掲載してしまって大丈夫ですか?(笑)

鈴木:いいんじゃない(笑)。僕はね、言いたいことは言うし、上の人には噛みつく。上の人にあーしろこうしろって言われたって無理。納得すればやるんだけども、まずは疑問が先行しちゃうわけ。

立河:なるほど。先生の新たな人物像が見えてきました。“長いものに巻かれない”そういう意志の強さをもっているからこそ今の先生があるんですね。

(続きます)

取材/文 SUZUKA YAKABE

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Vol.2 『僕は偉くなれない』 は3月17日(火)公開予定

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