MY HERO’S INTERVIEW

今月のゲストは思い起こすともう22年ものお付き合いになるカメラマンの萩庭桂太さんをゲストにお迎えしました。長年公私ともに撮影をお願いしています。カメラ・写真を通して何を訴えているのか、写真とは何か?人気カメラマンの萩庭さんのアイデンティティをお聞かせいただきます。


GUEST プロフィール
萩庭桂太 Keita Haginiwa
1966年東京生まれ。東京写真専門学校卒業後、フリーランス・カメラマンとして活動開始。 雑誌、広告、CDジャケット、カレンダー、WEB、等幅広いメディアで活動中。 ポートレート撮影を中心に仕事のジャンルは多岐にわたる。 「写真家」ではなく「写真屋」、作家ではなく職人であることをポリシーとしている。 雑誌は週刊文春など週刊誌のグラビア撮影を始め、幅広い世代の女性ファッション誌の表紙を撮影中。
http://www.haginiwa.com/

MY HERO’S INTERVIEW

Vol.1『報道カメラマンだった。』

立河宜子(以下、立河):今日はよろしくお願いします。さて私たちの出会いはいつだったかなぁ。

萩庭桂太(以下萩庭):よろしく。出会い、古いねぇ。

立河:初めてご一緒したのは確か麹町のどこかの道端で撮影してもらいました。

萩庭:覚えてるよ。某雑誌だね。

立河:すごい!何千人、何万人と撮影してるのによく覚えてますね!

萩庭:そういうの意外と覚えてる。多分、22年前。オレが26か27の時だから。

立河:そのあとスタジオに移動して撮影だったんだけど、アップテンポの音楽をガンガンかけて。気後れしてモジモジしてたら恥ずかしがらないで動けーって。このカメラマン怖いって思ってました。(笑)あの頃からずっと人物の撮影ばかりしていたんですか?

萩庭:そう。最初から人物を撮ってたよ。でも、もともとは報道カメラマンだったの。

立河:報道??現場に行ったりもしていたんですか?

萩庭:自民党本部とか。記者クラブには所属できなかったから国会とかには行けなかったけど。それから警察回り。

立河:それは何を撮るんですか?

萩庭:事件・事故。ある女性週刊誌の仕事で行ってた。もともとは報道がやりたかったんだ。もっと言うと従軍のカメラマンがやりたかったの。(軍隊と一緒に戦場へ行くカメラマン)

立河:危険なのにどうして?

萩庭:戦場カメラマンが何たるかよくわかっていないのに、漠然と従軍カメラマンに憧れてた。それで専門学校も商業写真、報道写真、芸術写真と3つある中の、報道写真科を専攻してたの。

立河:長い付き合いなのに、初めて聞きました。

萩庭:この話を知った人がオレの写真を改めて見ると、だからこういう写真なのね、ってみんなに言われる。「報道」がベースだからなんでもない道端で撮るのが好きなの。背景にあるその時代の車やガードレール、電柱、郵便ポスト、自動販売機、そういうものも一緒に撮りたい。5年、10年経つとその背景に写り込んでるものが一番変わってる。時代の変化が一番わかるところだから好きなんだよね。それにいろんな人も入れて撮りたいの。後ろに通りかかってる普通の人とか。その人が実はその時のファッションだったりするの。 時に撮影で用意された服はおしゃれすぎて時代の真ん中じゃなかったりする。だから後ろにコギャルが写ってたり、そういうのが何気に好きなんだよね。だからおしゃれなところよりその辺で撮るのが好きなんだ。日本でヨーロッパ風なカフェとかで撮ってもハリボテみたいで格好悪いの。本物には敵わないよね。

立河:今私も、だからかぁって思っています。(笑)写真を撮るきっかけになったのは?

萩庭:小学校3年の時に、うちにおじさんがカメラを置いていってね、大好きな犬の写真を撮ったの。それが初めて写真を撮った瞬間。楽しくてね。まだフィルムの時代だったから、一枚一枚考えながら大事に撮った。それから小学校6年の時父親の転勤で富山に転校することになったんだけど、送り出してくれたクラスメイトみんなの写真を撮って、転校先でこんな友達が居たんだよって新しいクラスメイトに見せたりしたよ。

立河:へぇ。そんなに早くから写真を撮ってたんですね。

萩庭:それから中学に入ると新聞社の分室に住んでる同級生がいて、そのお父さんが期限切れの使わないフィルムをくれたり、現像室使わせてくれて徹夜で作業したこともあったよ。

立河:その頃から研究熱心だったんですね。

萩庭:写真撮るのが好きだったんだよね。同級生に好きな子ができたりするとその女の子の写真を撮ってあげてさ、売ったりしたよ。(笑)

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立河:あははは。もう仕事してたようなものですね。プロのカメラマンになったのはいつからですか?

萩庭:20歳から。その前に東京写真専門学校(現・東京ビジュアルアーツ)というところに入ったけど、18の半ばからカメラマンのアシスタントについてたから、学校には最初の1年は行ったけど、2年目は月に3日くらいしか出席できなかった。

立河:それで卒業ができたんですか?

萩庭:うん。それはね、授業が終わるギリギリ間に合うくらいの時間で行けることが多くて、ゼミの先生を捕まえて喫茶店でコーヒーおごってくれって言って、色々話をするの。そこで、マンツーマンで授業してもらう感じ。カメラのことは好きで勉強していたから理解はできた。先生にそれにしてもお前、教室で見ないなって言われて実は、カメラマンのアシスタントについてるから行けてないんですって話をしたの。そしたらそうか、わかった、出席にしておいてやるからって。

立河:それで単位を取って?

萩庭:そう。ちゃんと卒業式は行ったよ。卒業式に行ったら、みんなビックリしてた。なんでお前、卒業できるんだって。(笑)

立河:あははは。カメラマンになるにはアシスタントから始めないとプロにはなれないんですか?何か認定試験みたいなものがあるの?

萩庭:そんなことないよ。自分がプロだといえばそうなる。実はね、アシスタントやってたなんて言っても、やってなかったようなもんなんだ。

立河:アシスタントって学ぶためにやるんですよね。

萩庭:そう。カメラマンの先生にアシスタントでついていたんだけど、ある日、根性がなくて逃げ出すのよ。(笑)今思えば子供で未熟だったなと思うよ。大御所の先生だったし、その手前、他のカメラマンのアシスタントにつくわけにはいかない。だから自分一人でカメラマンとしてやっていかなきゃならないな、ということでフリーになっちゃったの。

立河:それがフリーになったきっかけなんですね。先生とはその後会いましたか?

萩庭:会えるようになったよ。そうなるには20年以上かかったけどね。でもね、不義理を買っちゃったけど頭の上がらない人が世の中に一人いるっていうのはちょっといいもんだよ。自分にとって負い目に感じる人がいると、自分を律する気持ちになるから。

立河:先生は、萩庭さんの作品を見て、褒めてくれましたか?

萩庭:そんなのないよ。

立河:どうして?ライバルになるから?

萩庭:ライバルとかにはならないんだ。師弟ってそういうもんなんだ。賞を取ったり、同じ広告や雑誌の仕事をやっていても比較するものではないんだ。

立河:なるほど。でもお互いに意識したりはしませんか?

萩庭:オレは自分のアシスタントたちに対しても全く意識しないよ。 アシスタントたちが巣立って、いい仕事をしていても妬みなんか全くない。その仕事はある意味オレの分身みたいなものだと思うから。

取材/文 タチカワ ノリコ
Photo Takeru

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